夏は山歩き、秋から春は古墳中心の遺跡巡り。主に筑後地区ですが、いつかは、全国へ・・・

これも装飾? 石亀城古墳蓋石

大牟田市宮崎。亀崎から怒縄田へ通ずる県道沿いにある石碑。

大正11年に建立された日清、日露、日独の戦争従事者に対する記念碑です。

石亀城古墳蓋石 (5)


この石碑に、北方300mほどの石亀城古墳の石棺の蓋石が転用されています。

碑文の部分は加工されていますが、その周辺部は本来の状態が保たれているそうです。
石亀城古墳蓋石

この石碑に、二直線が直交した×状を中心に、直線も含め、60~70個ほどの陰刻があったようです。拡大して見つけてみてください。

これかな~という左下の直線、右上の×。最上部にもそれらしき・・・
石亀城古墳蓋石 (3) 石亀城古墳蓋石 (2)

この石碑の裏側。こちらの方が線刻らしいのですが。
石亀城古墳蓋石 (4)

大牟田市史によると、碑文側に朱があったようで、石棺の内側にあたるのは碑文側になり、裏側は装飾ではないようです。

雨ざらしの状態の、この石碑もすでに、朱は確認できないし、線刻も見えづらくなっている。
この石材、長さ150cm、幅95cmほどですので、蓋石はまだあるはず。
この行方がわかれば新しい発見も。
石亀城古墳も消滅となっていますが、まだこの目で確認していません。それらしき森は残っているようですので、いつか探索せねば。
そもそも、装飾なのか、という疑問も・・・
コメント
知りませんでした
こんな石材があること全く知りませんでした。
まだまだ知らないことが多すぎる。
何かの折りに寄って確認してみます。
2011/11/02(水) 18:15 | URL | 蕨手 #-[ 編集]
一応装飾としてとらえています
同じような×印の線刻は、近くの埋め戻された、倉永茶臼塚古墳の腰石にも多数ありますが、装飾といえるのでしょうか?
この石碑も加工される前には、たくさんの×印があったということですので、描画された位置は異なりますが、何らかの意図があったのでしょうから、自分なりに装飾としてとらえています。
今では、石碑を見かけるたび、一応チェックしています。
2011/11/03(木) 10:10 | URL | 筑後国造 #-[ 編集]
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遺跡、特に古墳、山登り、地図そして高いところが大好き。郷土の先人、筑紫国造磐井様より一部名前を拝借しております。

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