夏は山歩き、秋から春は古墳中心の遺跡巡り。主に筑後地区ですが、いつかは、全国へ・・・

うきは市吉井町の装飾古墳 女塚古墳?  竹重古墳??

うきは市吉井町  女塚古墳

名前には魅かれるものの古墳自体は墳丘も削られ、無残。
IMG_7089.jpg

遠目にみると、前方後円墳らしきことはわかりますが・・・
IMG_7090.jpg

ある記録では、石室壁面に描画あり、とあったので期待したのですが、石室は残っていないようです。

近くの田んぼの中のここも古墳跡らしい。
IMG_7088.jpg

見る影もありませんが、残っているだけでも・・・


竹重古墳に同心円文、靱あり、という記録が・・・
しかし、この竹重古墳がわからない。

浮羽高校(現在浮羽究真館高校)の平成18年の発掘現場。
P2230056.jpg

前方後方墳があったようです。
遺跡名は竹重遺跡。
このあたりか、と散策。

竹重は小字名。 大字名は富永。

地名からいって近くの富永古墳のことなのでしょうか?
以前紹介しましたが、ある記録では、同心円文、靱の装飾の記述もありましたから。
狐塚という俗称はわかっていたのですが。

そばに消滅した名称不明の前方後円墳もあったから、こちらかも。

淡い期待はまたしても・・・
コメント
草野の古墳はどうなったんでしょうか。
ご返答ありがとうございます。
今日、ふと思い出したのですが、草野から発心山に歩いていく途中、平地から、山道にはいろうという所で、左手に横穴古墳が10基ほど、露出していたのを思い出しました。(30年以上前の事です)この春は上から車で下りたので、全く気付きませんでしたが。特に掲示板もなかったような。あれはどうなったのかなと。あまりの古墳の多さに、みなさん、興味がないのでしょうか。
副葬品が皆無なので、壁画が石組のパターンで、少し分類できるのかなと思いました。
朝倉高校も、出土品のコーナーがあって、卒業生でも、なんとか粘って見る事が出来たと、何かのHPに書いてありました。
どの写真も貴重です。是非撮り続けて下さい。 『ひもろぎ逍遥』もまた、何でか宮地嶽古墳あたりに舞い戻ります。(次回ごろから)
2010/08/23(月) 21:43 | URL | 綾杉るな #xvdPNyeE[ 編集]
草野の古墳
発心山への登山道沿いでしたら、発心古墳群か発心谷古墳群でしょう。
今では、探すのに苦労するくらいですし、残存しているかどうかもわかりません。
耳納山麓には、数千の古墳があるでしょうが、保存されているのは、わずかですし、開墾等により消滅していくのがほとんどでしょう。
そんな古墳を、ひとつでも多く紹介したいと思っています。
意気込みだけは・・・
しかしこういう古墳には寒い時期しか近づけないのが、悩みの種です。耳納山脈の登山道の内、田主丸から鷹取山への途中の平原古墳群、かんかけ峠の途中の益生田古墳群は、それぞれ数十基を道路から容易にみることができます。

”ひもろぎ逍遥”を拝見させていただきました。
特に地元で、”高良さん”として親しまれている高良大社については、興味深いものです。
山本家の家伝についてありましたが、久留米市上津町本山にある上津天満宮の奥に豊姫宮という立派な石祠があります。これは移設される前は上津土塁の近くにあり、そこには、蓮の池公園が今もあります。
山本家も、姓をさかのぼると上津荒木、竹内(武内)となるようで、武内宿祢へと繋がるようです。
高良山について、登るだけでなく、色々と調べたくなりました。
2010/08/26(木) 04:37 | URL | 筑後国造 #-[ 編集]
情報ありがとうございます。
草野あたりは数千基もあるんですね。それでは、身近すぎて、皆さんの保存への関心は薄くて仕方がないですね。
豊姫宮は上津にあるんですか。タケウチは竹内が大元かなと思うようになりました。高良山はどうやら想像以上に重要拠点でした。私もまた、あちこち逍遥したら、舞い戻りそうな予感です。
どうぞ、これからもレポートよろしくお願いします。
また、リンクさせていただきたいので、これもよろしくお願いします。
2010/08/27(金) 16:11 | URL | 綾杉るな #xvdPNyeE[ 編集]
No title
古墳の数は、耳納山脈の山麓の浮羽から久留米までの合計です。
”ひもろぎ逍遥”も興味深く、拝見させて頂きます。
2010/08/27(金) 20:43 | URL | 筑後国造 #-[ 編集]
祖母から聞きました
私から数えて三世代前の家を建てる時に塚が見つかり中から鏡や壺らしきものが出て来て、今は東京の博物館に保管されてると聞きました!
当時の新聞の記事まで見たので本当の話しのようです!
2012/12/21(金) 14:52 | URL | 竹重のもの #-[ 編集]
富永古墳でしょうね
竹重のもの様 
初めまして
以前は、耳納山麓の貴重な古墳は、関東の大学、博物館が発掘して遺物もそのまま持って帰ったというのを、数か所で聞きました。
最近、刊行された、吉井町の遺跡を紹介した書物(書名は思い出せません)の中に、竹重の稲荷神社のそばの富永古墳についての記述があり、遺品は帝室博物館、浮羽高校保管になっていました。
竹重のもの様が聞かれたのも、ここのことかもしれませんね。
2012/12/22(土) 06:26 | URL | 筑後国造 #-[ 編集]
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Author:筑後国造
遺跡、特に古墳、山登り、地図そして高いところが大好き。郷土の先人、筑紫国造磐井様より一部名前を拝借しております。

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