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Author:筑後国造 遺跡、特に古墳、山登り、地図そして高いところが大好き。郷土の先人、筑紫国造磐井様より一部名前を拝借しております。
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高良内あたりで、古い神社と初期の古墳を探しています。
写真を見せて戴くと、破壊ぶりがひどいですね。高良内あたりの出土品などは、どこで見られるのかも教えていただけますか?
私は『ひもろぎ逍遥』と『古事記の神々』で、古代をぶらぶらしています。
またお邪魔します。 (^-^)
高良内地区の古墳で、神社と同居したものとしては、焼失した富松神社、1基が保存されている大谷八幡宮くらいですね。
高速道路、自衛隊の敷地、高牟礼中学、住宅地造成等、消滅した古墳がいっぱいで、残存を確認できるものはわずかです。
観音堂と同居しているはずのマンダラサン古墳や、大規模古墳のはずのイトオリ塚古墳など、記録だけで確認ができず、暇をみては探索しているものは多数あります。
高良山麓、明星山麓にはまだまだ、あるはずです。
神社としては、高良大社に関係したものを中心に御井町から山麓沿いにいくつかあるようですが、詳細はわかりません。
出土品については、あまり期待できませんが、久留米市埋蔵文化財センターにあるようです。
よろしくお願いします。
近々公開しますので・・・
ところで、浦山古墳近辺とか、高良内地区とか、古代の部族ごとの邑のエリアのイメージとか、持ってありますか?古代は平野部がほとんど海だったので、台地に人々は住んでいたと思うのですが。
例えば岩戸山古墳から石人山古墳あたりは一つの部族というイメージを持っています。そんなのが久留米市だったら、どんなかなと思っています。すみません、マニアックな質問で。
岩戸山古墳、石人山古墳のある八女丘陵(人形原台地)は、西端の三潴町の十連寺古墳から、東端の童男山古墳群まで、5世紀後半から6世紀後半にかけて、西から東へほぼ年代順に築造されていることからすると、ご指摘のようなのかもしれません。
千数百年保存されてきたものが、近年破壊されているのを見るにつけ、残念です。
久留米は、高良台や筑後川の自然堤防等の微高地を中心に、縄文、弥生時代の遺跡があることから、古代はこの付近まで、海だったのでしょうね。
有明海は干満の差が大きいので、当時も影響はあったのでは?
今、目にすることができる古墳ばかり追って、その時代背景等には関心を寄せてはいませんでした。
これからは、視点を変えて、古墳をみるのもおもしろいかな、と思った次第です。