夏は山歩き、秋から春は古墳中心の遺跡巡り。主に筑後地区ですが、いつかは、全国へ・・・

神功皇后伝承と古墳 廣田八幡宮・聖母宮

地元の方の話によると、神功皇后が船を着け、上陸したのは、下庄八幡神社の北500mの廣田八幡神社ということでした。


みやま市瀬高町文廣

廣田八幡神社

御祭神:住吉大神、応神天皇、春日神

鳥居
廣田八幡神社 (1)

見上げんばかりの楼門
廣田八幡神社 (2)

拝殿
廣田八幡神社 (3)

拝殿と本殿
廣田八幡宮 (1)

楼門だけが高い位置にあります。
廣田八幡宮 (2)

境内の福岡県無形文化財に指定されている、「どんきゃんきゃん祭り」の記念碑
廣田八幡神社 (4)

「どんきゃんきゃん祭り」とは、芳司の廣田八幡神社から矢部川を渡り、対岸の本郷の聖母宮まで3kmほどの御神幸行列です。笛、太鼓、鐘の音が”どんきゃんきゃん”と賑やかに行列が続きます。
1151173.jpg 1824305[1]
(みやま市のホームページより)




みやま市瀬高町本郷

聖母宮(本郷)
  
御祭神:神功皇后

本郷聖母宮 (2)

拝殿
本郷聖母宮 (1)



瀬高町誌に、樋口八幡神社の伝承に「神功皇后が山門の県の田油津媛を退治する為海路より船舶を着け上陸された地点を社地とした」または「神功皇后海路より本郷へ行幸された時この地に御船を着け上陸された地である」、とあったのは、”本郷へ行幸された”という文言から廣田八幡神社のことではないかと思われます。


廣田八幡宮縁起」の内、関連する部分を取り上げてみます。
「当社勧請の年記を尋ねるに、神亀元(724)年11月19日、豊洲宇佐の宮より、この所に遷幸されたと云う。
・・・・・・
兎狭(宇佐)国造兎狭津彦の後裔、兎狭津速麻呂あり。
神功皇后に仕え奉って、三韓を海上に攻め戦う。時に、津速麻呂の武功、著しいによって、皇后はこれを感じられました。すなわち、筑紫廣田県二百七十町の封戸を授与され、津速麻呂はこれを領地とした。
・・・・・・
筑後国下妻郡廣田庄本后(郷)邑の仮宮に安置し奉り、その後、芳司なる塩忍井川(矢部川)の中瀬の上に西向きの宮殿を構え、八幡太神、春日大明神、住吉大明神三神の大神を安置し奉ると云う。」

応神天皇を祀る廣田八幡神社の祭神に神功皇后はありませんが、どんきゃんきゃん祭りにより、母である、本郷の聖母宮と今もなお深い繋がりを思わせます。

この御神幸行列は、鷹尾神社にもありましたが、この後の神社にも登場します。


近くの古墳としては

文廣大塚古墳

周囲40mほどの円墳がでしたが、今は田んぼになり、消滅しています。
文廣大塚古墳
(瀬高町誌より)


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筑後国造

Author:筑後国造
遺跡、特に古墳、山登り、地図そして高いところが大好き。郷土の先人、筑紫国造磐井様より一部名前を拝借しております。

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