夏は山歩き、秋から春は古墳中心の遺跡巡り。主に筑後地区ですが、いつかは、全国へ・・・

神功皇后伝承と古墳 神屋原八幡神社

三池郡誌に「武内宿祢九州監察として本郡に入り、黒崎に船を寄せてこの吉野の北神集原(かみわらばる)に陣す
別の文献には「供奉(くぶ)の人集う所を供永(くなが)と名づく」、とあります。

神集原が神屋原となり、供永が倉永という地名になったようです。

供永にお供が集まり、神集原に陣を張ったということでしょうか。

大牟田市吉野

神屋原八幡宮

御祭神:応神天皇

神屋原八幡宮 (3)

本殿
神屋原八幡宮 (2)

神屋原八幡宮 (1)
すぐそばにある、吉野十三塚は、説明では当時のものではないかと云われているとありますが、調査が行われ、南北朝以降のもののようです。

大牟田市吉野には、宿塚古墳という、石室が開口していた古墳がありますが、まだ近づけていません。
西側の倉永の甘木山の古墳を紹介します。

倉永古墳

古墳は消滅していますが、装飾のある石材がカルタックス大牟田に保管されています。
倉永古墳
(福岡県の装飾古墳より)


倉永茶臼塚古墳群

5基の古墳があります。

1号墳
石室は、舟型石棺とともに埋め戻されています。
倉永茶臼塚古墳

線刻のある奥壁鏡石
kuranagachausuduka (2)
(調査報告書より)

甘木山古墳群

10基が確認されています。
説明板が新しくなり、調査報告書等の号数と異なっていました。
甘木山古墳群 (1)

7号墳(説明では4号墳)
甘木山古墳群 (2)

9号墳(説明では7号墳)
甘木山古墳群 (3)


その他、甘木山には、岬ケ原古墳群が70基ほどありましたが、現在ゴルフ場となり、確認できません。

神功皇后伝承と古墳 黒崎玉垂神社

九州各地に伝承が残り、ただの伝説と思えなくなってきた神功皇后

時代は異なるものの、信仰他何らかの関連も垣間見える古墳も交えてちょっとだけ・・・

諸説ありますが、細かいことは抜きにして、学問的なことはさておき、とりあえず、筑後地区南部を巡ってみます。


大牟田市岬

黒崎玉垂神社

御祭神:武内宿禰命・応神天皇・神功皇后・建磐龍神・住吉大神

由緒によれば、「当社は神功皇后三韓征伐より凱旋の節、当地に着船し、副将武内宿禰に命じて行宮を創立し給う」とあります。

舟を停船し、上陸したところでしょうか。

黒崎玉垂宮 (4)

当時はこのあたりが海岸線であったと思われます。
黒崎玉垂宮 (3)

急な階段は、通行禁止になっています。
黒崎玉垂宮 (6)

二の鳥居
黒崎玉垂宮 (7)

楼門
黒崎玉垂宮 (8)

拝殿
黒崎玉垂宮 (1)

本殿
黒崎玉垂宮 (2)


神社をさらに登ると黒崎公園
有明海を挟み、島原半島が望めます。神功皇后も眺めたのでしょうか。
黒崎玉垂宮

黒崎公園には、現在3基の古墳が残っています。

黒崎観世音塚古墳

全長97mの前方後円墳
黒崎古墳群 (1)

前方部より後円部を
黒崎古墳群 (2)

黒崎山1号墳
径20mの円墳
黒崎古墳群 (4)

黒崎山2号墳
削減され、大きさは不明
黒崎古墳群 (5)


カルタックス大牟田に展示されている、黒崎公園内で出土した舟型石棺(奥の方)。 棺身だけですが、石枕、縄掛け突起も残っています。手前の石棺は、黒崎山の隣の蜜柑山古墳群出土
黒崎古墳群 (3)

以降、市町史や、神功皇后伝承を歩く(上下)(綾杉るな著)を参考にさせていただきます。

プロフィール

筑後国造

Author:筑後国造
遺跡、特に古墳、山登り、地図そして高いところが大好き。郷土の先人、筑紫国造磐井様より一部名前を拝借しております。

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