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夏は山歩き、秋から春は古墳中心の遺跡巡り。主に筑後地区ですが、いつかは、全国へ・・・

中津隈宝満神社古墳

中津隈宝満神社古墳

神社境内にある前方後円墳は以前と変わらず歳月を重ねています
中津宝満宮 (16)

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後円部
中津宝満宮 (17)

中津隈宝満神社古墳 (2)

前方部は社殿建築により削られ、築造時の姿ではありません
中津宝満宮 (18)

境内には他の古墳の痕跡も
中津隈宝満神社古墳 (3)


中津宝満宮 (13)

中津宝満宮 (14)

その他にも石材らしきものが散在
中津宝満宮 (15)

古墳の末路

9年ほど前入った古墳

仮の1号墳
山田古墳群 (10)

複式の横穴式石室
山田古墳群 (2)

奥壁の前にはお地蔵様
山田古墳群 (3)

框石も
山田古墳群 (4)

それから3年後、調査中で古墳の封土も無く、石室が露出していました。
山田古墳群 (5)

ブルーシートを外して見学させてもらいました。
山田古墳群 (7)

奥壁前の観音様はお寺で供養されたそうです。
山田古墳群 (8)

すぐそばの仮の6号墳の9年ほど前
山田古墳群 (12)

天井石は失われ、石室は露出しているものの草に覆われ詳細は不明。
山田古墳群 (11)

3年後、石室の様子が分かりました。」
山田古墳群 (6)


しかし、両古墳ともこのようになり・・・
山田古墳群 (1)

現在は、石垣の一部になり、役立っているようです。
山田古墳群 (9)

船石遺跡  古墳

船石遺跡1号墳(鼻血石)

墳丘は失われ、竪穴系横口式石室の天井石が露出しています。
船石遺跡 (5)

長さ3.16m、幅1.68m、厚さ0.54mの一枚石です。通称鼻血石で乗ると、鼻血がでるとか?
船石遺跡 (7)

全国で20例ほどしかない蛇行状鉄剣が出土しています。

船石遺跡2号墳

1号支石墓が隣接しています。
船石遺跡 (8)

径12m、高さ2.5mの円墳
船石遺跡 (9)

石室の閉塞石?
船石遺跡 (3)

隙間からカメラを入れると、蜘蛛の巣と葉っぱで見えませんでしたので、以前のものですが・・・
右側壁と奥壁には1枚の腰石の上に塊石を積んでいますが、左側壁は天井までの巨大な1枚石だそうですが、見えません。
左袖石が倒れているのが分かります。
船石遺跡 (1)

蛇行状鉄矛が出土しています。1号墳の蛇行状鉄剣や3号墳の鉄剣は何故か展示されていませんでした。
船石遺跡 (2)

船石遺跡3号墳

開墾により、径9mほどの墳丘も天井石も失われていましたが、羽子板型の横穴式石室がこの草むら辺りにあったようです。
奥には2号墳、亀石、船石
船石遺跡 (4)

上峰町郷土資料館の発掘調査時の写真を見ると、右上の鼻血石、中央の亀石の石が移動されているのが分かります。船石はさすがに動かせなかったそうです。また亀石のそばに2号墳が開口しています。中央下には3号墳の石室も。甕棺が出土しています。
船石遺跡

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船石遺跡  支石墓

三養基郡上峰町堤

船石遺跡

船石宮天神社の境内周辺にある、支石墓2基、古墳3基、その他甕棺、住居跡等縄文~中世にかけての複合遺跡です。
船石遺跡 (13)

船石遺跡 (12)

船石遺跡 (3)

1号支石墓(亀石) 

石の下からは甕棺が出土しています。
船石遺跡 (7)

亀石と呼ばれる姿がよく分かる草が少ない時期
船石遺跡 (4)


2号石棺墓(船石) 

正に船の形をした巨石
船石遺跡 (6)

長さ5.41m、幅3.12m、厚さ1.12mの花崗岩
船石遺跡 (9)

船石遺跡 (10)

横から見ると、巨石が倒れないように支えている石が分かります。3個の石に支えられ航海する船の様子が保たれているようです。神功皇后の船が出航したという伝承もあるようです。
船石遺跡 (2)

石の下からは中世の祭祀遺跡が発見され、土師器、小皿等が多数出土しています。さらにその下には巨大な竪穴が検出されています。
船石遺跡 (1) 

亀石と船石
船石遺跡 (8)

古墳の改葬  目達原古墳群

当ブログでも何度か投稿しましたが、ようやく当時の様子を記した文献を読み詳しく知ることが出来ました。

三養基郡上峰町坊所

目達原古墳群

戦時中、陸軍の飛行場を造るため、目達原古墳群の5基の古墳が壊されましたが、その際、関係者の尽力によって、古墳の改葬という形で痕跡が残されました。

古墳記念碑
古墳の石材で造られています。
目達原古墳群 (5)


各古墳は、それぞれの規模に対し、平面形で約七分の一、立面で約四分の一の割合で土を盛って造る。
御霊代は、一辺21センチ、深さ15センチの木箱に納めた上で、「清浄の白布」で包む。
副葬品は、盗掘されないように、一辺36センチ、深さ30センチの木箱に入れ、さらに、コンクリート製の外箱に収納した上で、さらに厚さ6センチの松の板の蓋をするなどと取り決められ、再埋葬されました。

このようにして、5基の古墳が上のびゅう塚古墳(都妃女加王墓)のそばに改葬されました。
5基の古墳が一列に並んでいます。
目達原古墳群 (1)

大塚古墳(全長55.15mの前方後円墳 横穴式石室)
目達原古墳群 (8)

古稲荷塚古墳(全長42.00mの円墳 横穴式石室)
目達原古墳群 (4)

稲荷塚古墳(全長50.00mの前方後円墳 前方部と後円部に2つの横穴式石室)
目達原古墳群 (7)

塚山古墳(54.55mの前方後円墳 横穴式石室)
目達原古墳群 (10)

瓢箪塚古墳(27.27mの前方後円墳 箱式石棺)
目達原古墳群

古墳のレプリカのようなものですが、副葬品の再埋葬といい、思いが詰まっています。
プロフィール

筑後国造

Author:筑後国造
遺跡、特に古墳、山登り、地図そして高いところが大好き。郷土の先人、筑紫国造磐井様より一部名前を拝借しております。

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